Shallie 's blog

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地球環境が危機的状態と言う。

今まで行った場所を、突如思いついて書き出して見た。

どこも、自然は美しかった。

 

ブログに載せる必要があるのか、と自問自答して見た。答えは、見つからない。危機的状態について警告、発信すると言うのではない、ただ、

書くことにした。

 

現在の仕事をしてから、海外に行くことは、ほぼなくなってしまったので、

殆ど、OL時代に仕事と家族で行った場所。

 
今まで、行ったことがある地球の場所
 

オーストラリア (メルボルン エアーズロック ブリスベン シドニー

アメリカ (サンディエゴ シアトル サンタフェ ヨセミテ セドナ サンフランシスコ ロサンゼルス オアフ カウアイ )

フランス (パリ オルレアン トウール アルル アビニヨン エクサンプロバンス マルセイユ ニース モントン) 

モナコ

イギリス  (ロンドン ケンブリッジ マンチェスター マン島

ギリシャ  (アテネ、デロス サントリーニ ロードス ミコノス 他)

トルコ   (イスタンブール エフェス カッパドキア コス島 他)

オランダ

サウジアラビア (ドバイ)

韓国   (ソウル)

香港

台湾   (台北

ネパール  (カトマンズ ルンビニ

 

随分、いろいろな場所に行っていたと思う。半分は仕事。

どこも自然は美しく、思い出深い。が、一番印象に残っているのは

トルコからギリシャに島々をめぐる帆船で、遭難している難民を発見し、救助できたこと。

 

確か、トルコとギリシャの中間あたりの海上だった。9月の初め。

夜、船内での食事。その日のドレスコードはカジュアルOKだったと思う。

その後、デッキに出て、海風に当たっていると、ウオーッ、ウオーッ、という叫び声が夜の海にこだます。

ワインを何杯か飲んでほろ酔い気分なので、こちらも、調子に乗って

ハーローッと声をかけた。

 

答えるように、ウオーッ、ウオーッ、の声

その声は、時々止んで静かになると思ったら、また、始まる。

こちらも、ハーローと大声で叫ぶ!

 

ウオーッ、ウオーッ と叫び声

ハーロー where are you? 私も叫ぶ。

 

何度かのやり取りをした。

初めは、近くの通りかかった島で、若い人たちがパーティーをして盛り上がっていて、船上の客に歓声か、と思った。でも、当たりに島はない。

 

隣に居合わせたブラジル人の男性に、どこかでパーティーしているのか

若い男性の声が聞こえるけど、どこでやっているんだろう? と聞くともなく話しかけた。

ブラジル人は、急に顔つきが変わり、船員に伝えに行った。

 

間も無く、船は止まり、360度の旋回を始める。

大きなサーチライトが海を撫でるように照らし始めた。2周ほどゆっくりまわっただろうか、しばらくすると、乗っている帆船は停止し、船内、全ての明かりが付けられた。船上は、不夜城のごとく明るく眩しかった。

 
 

小さなボートが船から降ろされて、船員達3名程が乗り救出に向かう。

時間が、どのくらいたったのだろう。覚えてないが、小さなボートは、

毛布をかぶった黒い人影を二人乗せて帰ってきた。二人は救助された。

船内で暖かいシャワーと食事、着替えが提供され、救助隊が到着するまで

事情聴取され、仮眠をとったそうだ。

 

何時間かして、トルコ政府のヘリコプターが海上ホバリング

二人を引き上げ、あっという間に連れて行ってしまった。映画のワンシーンのようだった。

 

翌日の朝食時、昨日の出来事を関係者が乗船客全体に説明をした。

遭難していたのは、イラン人2名、小さなディンギーで海を渡り、ギリシャを経てイタリアに亡命しようとしていたが、小さいディンギーは風に煽られ途中転覆し遭難、海に漂い救助を求めて、叫んでいた。

殆どのクルーズ客船は通り過ぎたが、この船だけが、止まって救出してくれた、と語ったそうだ。

 

彼らは、その後どうなったか、無事、亡命できたのかは分からない。

祖国に強制送還されずに、ギリシャかイタリアに亡命出来るよう、祈るしかなかった。

 

そして、あのブラジル人男性のおかげで、乗船客の間であっという間に噂は広まってしまったらしい。翌日から、私は、握手を求められたり、一緒に写真を取られた。その船は、エーゲ海の島々を巡り、アテネで解散する。それまでの一週間50カ国の人々、およそ300人と話をした。

 

その時、私は船上から美しい海を見ながら、会社を辞める決心を固めた。

 

帰国後、2、3日して、911が起こった。

まだ、今の仕事をする前のことで、2001年アメリ同時多発テロが起こった年だったから、いまでもよく覚えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

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